三度の飯より飯が好き

大阪で日常的に繰り広げられるハイクオリティなボケとツッコミに怯えながら暮らす女の日記。

ゴリラ量産系女子の嘆き


前職で、かなりマメにブログを更新しなければならない規則があった。

とても変わった職種で、髪を数センチ切るにも許可が要り、仕事が入ったら旅行の最中でも戻らなければならない、厳しい仕事だった。
そんな職ならブログももちろん、NGワードというものが存在する。
しかし「いちいち許可をとらなくていいので、とにかく好きに書いて」と言われたのだ。
「これはちょっと…という言葉があったら、次回からやめてくれたらいいから」と。

もともと自分の気持ちを筆にしたためる癖があった。
高校3年間お付き合いしていたミスチル桜井さん似の彼には、いちいち毎授業、手紙を書いて、休み時間に渡していたので、あの時期日本の紙の消費率は他でもなく私が9割を占めていたと思う。
ちなみに彼から返事がくることは3年間で一度もなかった。

文章を書くことは好きだ。
落ち着いて自分の考えと向き合うことができる。

しかし落ち着いて考えと向き合った結果、何がどうなってそうなったのか、私のブログはゴリラが大半を占めた。
なぜかはわからないが、ゴリラの話題しかなかったのだ。
落ち着いて自分と向き合うどころか、錯乱してゴリラを量産していた。

「犬飼さん、ゴリラNGでお願いします。」

こんな言葉、人生で言われたことのある人間がいるんだろうか。
ゴリラNG。
ものすごいパワーワードだ。

そもそもゴリラNGってなんだ。
ゴリラはゴリラで生きてる。
断じて創作物ではない。
きちんと自立して社会に出てる真っ当なゴリラだ。
なんなら私が生まれる前から動物園で社会人やってる。
そんなゴリラをNGだなんて酷なことをする。

かくしてゴリラを封印されてしまった私だが、焦った。
ゴリラ以外に書くことが見つからない。
ゴリラなしで今までどうやって生きてきたかがわからない。
失って初めて大切さに気付く、バカな女だった。

友人に相談もした。

なっちゃんからゴリラとったら、バナナしか残らないのにね」

なんて雑な慰め方だろう。
むしろそんな目で見られていたとはショックだった。

それ以来、私のブログからは一切のゴリラが消え、代わりに更新頻度がかなり激減した。
でもそれくらい許してほしい。
いくらマウンドの外から「立てー!立てー!」と奮い立たせたところでアイデンティティを失った人間の活力など底が知れている。
息をしてるだけで褒めてほしい。

その後、ノーゴリラで過ごすこと数年。
今やすっかりゴリラなしの生活にも慣れ、代わりに悲しさを埋めるかのようにバナナに縋った。
確かに友人の放った言葉の通り、私にはバナナが残ったのだ。
むしろ、バナナが私のそばにいてくれた。
ノーバナナノーライフ。

しかしながら、女性とバナナのタッグに対する、世間の色眼鏡がすごい。
男女に友情は成立するか?の議題と同じく、女性とバナナに友情は成立するかの討論もしてほしい。
本人達がいくら身の潔白を訴えたところで、世の中の印象はそうなのだ。

でも。正直。
私も、もしも目の前で、可愛い女の子が『バナナ好きなんです』とかなんとか言ってたら、思う。
いや設定盛り込み過ぎだろ、と。
それだけ可愛いのに、この期に及んで一体誰にサービスしてるの?と。
一つ買ったらあれもこれもとつけてくれる下町の商店街と良い勝負だ。

なんというか、世界がこれだけ、metoometoo!と手を挙げている中で、当の私が女性をエロい目で見てしまうんだから、そりゃあ男女のセクハラなんてなくならないよな、と思う。

さすがにTPOは弁える。
美術館で男性器の彫刻や裸の女性の絵を見たところで 、何を言うつもりもないが、恐らくそれが居酒屋だったらハイボール片手に「ミロの乳首に触れてミロ」とか言ってる。
前回の日記で下ネタ警察を名乗っていた女だとは思えない。
そりゃあ桜井から手紙の返事もこないわけだ。

誤算だ。
こんなはずじゃなかった。
『こらこら皆、ななちゃんの前だから…』
って気を遣われるくらい、清純派になってみたかった。
清純破だ。
純を破壊し切っている。

中学校まではピュアの塊だったはずだ。
高校3年間付き合った桜井ともハグまでしかしていない。
湘南乃風ですら美味しいパスタ作ってんのに。
思い返してみても、家庭は至って普通。

つって幼少期まで遡ったんだけど、今思い出した。

小学生のお兄ちゃんが難しい言葉を覚えてとにかく使いたかったのか

「勃起したーーーーーーー!!!」

と何かあるたびに絶叫していたのを幼い私も真似していた。

初期じゃん。
もう覆せないよ。

これからの時代は強さが大事。
諦めて、ゴリラ系女子を目指します。